
名古屋から特急列車で約3時間、三重県熊野市にたどり着く。紀伊半島の南東部に位置し、熊野古道など「世界遺産のまち」として知られる人口約1万5千の小さな都市だが、近年は「球都」と称しても過言ではないほど活気づいている。
その象徴的な存在が、市営球場の「くまのスタジアム」だ。
雄大な熊野灘に面し、黒潮の影響によって冬でも暖かいのが地域の特色で、全国各地から野球やソフトボールのチームが訪れる。市の広報担当者によると、スタジアムはオフシーズンもキャンプなどで空きが無い状態だという。
思いをつづったファクス
スタジアムは2002年に完成。こけら落としの記念イベントとして、有志たちの実行委員会は高校野球の招待試合を企画した。
熊野育ちで高校球児だった大崎順敬(63)は「地域のレベルアップがしたい」と強豪校へ電話をかけて交渉した。しかし、週末の日程は決まっているチームがほとんどだった。
神奈川・横浜高には繰り返し断られたが、大崎らは諦めなかった。熊野は昔から野球が盛んなこと、温暖な気候のこと、新球場が国際規格をみたしていることなど、イベントへの思いをつづったファクスを送った。すると、当時の監督・渡辺元智、部長・小倉清一郎は熊野への遠征を決めた。
イベントは6月に「くまのベースボールフェスタ」と銘打って開催した。涌井秀章(現中日)擁する横浜高や、嶋基宏(元楽天など)が主将だった愛知・中京大中京高と地元校が対戦。満員のスタンドは歓声に包まれた。
翌年以降も招待試合は続き、次第に口コミが広がった。智弁和歌山や大阪桐蔭、日大三、広陵など甲子園で優勝した高校も含め、熊野へ来るチームが増えた。岩手・花巻東高時代の菊池雄星(エンゼルス)や大谷翔平(ドジャース)は、合宿地としてもグラウンドで汗を流した。
スタジアムから近い世界遺産「花の窟(いわや)神社」の境内には、「丸石」と呼ばれる大きな岩がある。高校生だった大谷が丸石に触れたとされ、今では大谷の活躍にあやかろうと野球やソフトボールの関係者らが神社に訪れるようになった。
昨夏の全国選手権大会で準優勝した東京・関東第一高は、07年から熊野を訪れ、昨秋で16回目となった。「遠いですよね……」と監督の米沢貴光(49)は率直に言う。当初は熊野へ通じる自動車専用道路がなく、バスで10時間以上かかったという。
なぜ熊野まで通い続けるのか。米沢は「僕自身が全く実績もなく勝っていない時に声をかけていただいた恩がある。気候だけでなく、人も温かい。『お帰りなさい』と言っていただける場所です」。
野球部員たちには社会勉強の一環として、熊野や世界遺産について予習をさせ、遠征に臨んでいるという。
熊野では現在、毎年11月に各地から集ったチームがスタジアムや近隣の球場、学校グラウンドで練習試合をするのが恒例となった。「フェスタ」では中学や女子高校野球の試合も行う。過疎化が進む地域で、若い世代が白球を追って交流を図っている。
フェスタの事務局長を務める大崎は「この田舎でもなんとか野球を続けたいと耐えている。今の流れは絶対切らないと思うし、広げていく可能性がある」と話す。
この夏、スタジアムは初めて全国選手権三重大会の試合会場となる予定だ。甲子園をめざして躍動する選手たちの姿に、スタンドは沸くだろう。=敬称略
くまのスタジアム
JR紀勢線の熊野市駅から車で10分、有井駅から徒歩20分。山崎運動公園内にあり、両翼100メートル、中堅122メートル。収容人数は6500人で、外野は芝生席。花火の形をした照明設備を備え、屋内練習場も併設している。日本女子ソフトボールリーグの試合会場にも使われる。
最近10大会の全国高校野球選手権大会の三重代表
2015年 津商(2回戦)
16年 いなべ総合(3回戦)
17年 津田学園(2回戦)
18年 白山(2回戦)
19年 津田学園(2回戦)
20年 新型コロナで中止
21年 三重(3回戦)
22年 三重(1回戦)
23年 いなべ総合(2回戦)
24年 菰野(2回戦)
※かっこ内は全国高校野球選手権大会での成績